Tuesday 3 February 2015

ワールドサッカー誌が、オークランドシティの奇跡について報じる

クラブワールドカップで快進撃を見せたオークランドシティFCがニュージーランドに凱旋した。ラグビーを愛好するこの国で、果たしてサッカーの未来は変わるのだろうか?

巨大な照明や大きな目印がある訳でもないので、試合日に迷路の様に入り組んだスタジアムの周りの道で迷ってしまっても不思議ではない。

チームカラーのマフラーやレプリカユニフォームを身にまとったファンが大挙して通りを歩く場面に遭遇することもないだろう。名前も知らない郊外の町中の、ニュージーランドラグビーの聖地であるイーデンパークから僅か数キロの場所に、モロッコで開催されたFIFAクラブワールドカップで第3位になったばかりのクラブ、オークランドシティFCのホームスタジアムのキューウィテアストリートがある。

年が明けて間もない、真夏の昼下がりに行われたこの日の試合の相手は、ニュージーランドで唯一のプロのクラブで、オーストラリアのAリーグで上位を走るウェリントン・フェニックスのリザーブチームであった。

オークランドシティにとってこの試合は、モロッコでの夢物語の後で最初にホームで迎える重要な試合であった。ニュージーランドのスポーツファンが全く関心を寄せていなかった大会とチームが、12月に突然国中の注目を浴びるようになった。

国中が熱狂するオールブラックスの年間スケジュールが全て終了し、クリケットのシーズンがまだ始まっていなかったことも幸いした。実際、スポーツ関係のメディアは揃って安堵の溜息を洩らし、番狂わせという言葉がぴったりの興味深いストーリーが年の瀬に届けられた。

僅か10年前に作られたばかりのクラブが、あれよあれよという間にアフリカ王者のESセティフ(1-0)、北中米カリブ海王者のクルスアスル(ペナルティーキック合戦の末勝利)相手に勝利を重ねた。その上、モロッコ王者のマグレブ・テトゥアンを熱狂的なファンの目の前でペナルティキック合戦の末に破った。

準決勝で対戦した南アメリカ王者、アルゼンチンのサンロレンソは、延長戦の末、辛くも2-1でオークランドシティを退けた。実際、普段はコーナーフラッグの僅か数ヤード先は畑といったピッチでプレーしているオークランドシティの、現代スポーツの歴史の中でも類を見ない番狂わせとなったであろう、世界的な巨大ブランドであるレアル・マドリードとの決勝での対戦を阻んだのは、僅かゴールポストの幅であった。

この小さな奇跡、いや正確には大きな奇跡は、どの様にして生まれたのだろうか?

ニュージーランドのサッカーファンの多くは、この数週間、この質問の答えを探してきた。もちろん、これには複合的な要因がある。スペイン出身のラモン・トリビュリエッチ監督は、ヨーロッパ式の知的なオーラを醸し出す。(冷静な判断を下す時の)アーセン・ベンゲル監督とペップ・グラウディオラ監督を合わせたかの様に。

選手としての目立った成績もなく、スペインの3部リーグに当たるセグンダBで経験を積み、これまで注目を浴びたことのない監督ではあるが。彼の組織的で知的なアプローチは、対戦相手の徹底的な分析と、ボールポゼッションを基本としたプレースタイルに集約される。

こうしたやり方は、これまでニュージーランドにサッカーに強い影響を与えてきた、多くのイギリス人コーチが踏襲してきた突貫的で体力主義な、根性論のアプローチーチとは一線を画する。トリビュリエッチ監督は冷静で知的な佇まいを見せるが、洗練された外見の奥には、その目的、意図、サッカーの深い理解が溢れ出ている事に気付くだろう。

しかしながら、コーチの戦術や計画は、選手によって実行されなければ、机上の空論に過ぎない事は、誰もが承知である。オークランドシティは、慎重な選手獲得と準備によって、トリビュリエッチ監督の戦術を体現できる冷静な頭脳とフィジカルを持ち合わせた選手を集めてきた。多くの選手が普段スポーツ店の経営や建設、メカニック等の仕事を持つという状況の中で準備を進めた。

このチームにはニュージーランドで生まれ育った選手が僅かに4人しかいないことを陰で指摘する評論家もいる。この意見は、大事な点を見落としている。国際的なクラブサッカーの業界以上にグローバル化が進み、国境が薄れている業界もあるのは明らかではないか?

このことは、イギリス、プレミアリーグの上位4チームの所属選手をざっと見渡しても納得がいく。オークランドシティのメンバーは、日本、イギリス、クロアチア、ナイジェリア、南アフリカ、メキシコ、アルゼンチンといった、世界中の選手で構成される。オークランドシティFCは、商業の中心として発展するこのニュージーランドの都市を代表するのに相応しいとも評される。オークランドの中心街で軽く昼食を取ろうとして通りを歩けば、世界中から集まった老若男女の姿を目にすることができる。

しかしながら、このチームで最も重要な選手は、ニュージーランド出身である。アイヴァン・ビクシッチ。偉大なアイヴァン。間もなく40才になろうとする、ニュージーランドサッカー界に最も貢献した彼は、そのキャリアの中でオランダのエールディビジでプレーし、コンフェデレーションズカップに3回出場し、2010年のワールドカップでは、(今だ)驚くべきことに、前回大会優勝国のイタリアと1-1で引き分けた。

おそらく世界中で最も過小評価されたこの男は、我々の多くが駐車違反の罰金を払うのを払うのを楽しむかのように、取材に対しても喜んで望む様だ。ビセリッチは、ピッチの上では、トリビュリエッチ監督と選手をつなぐパイプ役を演じる。既に豊富な運動量は期待できないことを自認している彼は、ディフェンスと中盤のスペースを埋め、チームを前に押し上げ、相手のカウンターの芽を巧みに摘み、4人のバックラインの前に頼もしいボディガードさながらに立ち塞がる。決して自分を誇張せず、またポジションを外れることなく、安易にボールを奪われない。経験によってのみ成せる業である。

これまで数々の賞を受賞してきたビセリッチでは、今年の新年を迎えるに当たり、またひとつ新たな肩書きを得る事になった。しかしながら、今回モロッコで獲得した、大会で「3番目に優秀な選手」に与えられるブロンズボールは、最も価値のあるものであろう。FIFAは、新しい賞を作り出すのに長い間苦労を重ね、目の肥えたファンの多くは、こうした貢献度を試合と比較して判断することに難色を示す。

しかしながら、彼の受賞について反対したり、批判したりする者は皆無であった。クリスティアーノ・ロナウドとセルヒオ・ラモス(最優秀選手と2番目に優秀な選手...同一チームがこの賞を独占することを認めない規定があるのかもしれない?)と並んだアイヴァン・ビセリッチの姿は、ニュージーランドという国のブランド価値を世界に広め、一方でサッカーというスポーツをニュージーランドに広める絶好の機会となった。驚くべき、一方でいささか現実離れした出来事であった。あたかも、地元のパブの歌い手が、借り物の上着を着て、グラミー賞でビヨンセとポール・マッカートニーに挟まれているのを見ているかの様に。

オークランドシティの成果を目の当たりにし、ニュージーランドサッカーの「転換期」や「新しい時代の幕開け」といった言葉を度々耳にする。間違えなく、モロッコで第3位となった事はとてつもない功績であり、選手やスタッフはこれら全ての賞賛を受けるに大いに値する。

ニュージーランド国内で最も顕著な活躍をしたスポーツ関係者に与えられるハルバーグ賞は、この年のチーム部門に、オークランドシティを急遽、追加でノミネートした。オーストラリアのプロリーグであるAリーグにオークランドシティを加えるべきだとの議論も、当然の様に囁かれる。オークランドをホームとしたふたつのフランチャイズ(フットボールキング 1999-2004 とNZナイツ 2005-2007)が、今世紀初めの5年間に於ける運営の失敗あったと大きな批判を浴びたことさえも、すっかり忘れさせてくれる。

ニュージーランドから、ふたつのプロチームを出すことは現実的ではないので、当面はウェリントンに本拠地を置くフェニックスが、唯一オーストラリアのAリーグに残ることになるだろう。しかしながら、モロッコでオークランドシティが見せた組織力、タレント性、野望が効果的に融合すれば、様々な可能性が生まれる可能性がある事は、言うまでもない。

より大きな視点から見ると、オークランドシティの成功は、ニュージーランドサッカー界とスポーツ界全体の中でどの様な意味を持つのであろうか? 2013年の年末に行われたFIFAワールドカップ予選のメキシコを相手にした大陸別プレーオフで見せた、ニュージーランド代表の悔しい結果から立ち直るきっかけを、大いに与えてくれるであろう事は、疑う余地もない。クルスアスル戦の勝利を、ワールドカップ予選のリベンジだと言う者もいる程である。

国内選手を中心としたメキシコ代表を相手に、ニュージーランド代表は、2試合合計で9-3という大敗を喫した。最近、新しく就任した代表チームの監督は、トリビュリエッチ監督を彷彿させるポゼッションと忍耐、技術を主体とするサッカーを好む様だ。サッカーは絶えず進化し、この事はジュニア年代や女子では特に顕著である。オーストラリアがオセアニア連盟から抜けたことで、ニュージーランドの年代別代表には、世界大会への出場チャンスが広がった。今年の5月には、FIFA U20ワールドカップが、ニュージーランドで開催される。

ニュージーランドの人々にとって、サッカーの美しさと観戦の楽しさ、そして未来のスターを間近で見る新たな機会となる。政治的、経済的なより広い視点からも、サッカーのニュージーランドに於ける可能性が、漸く国際的に認知される可能性がある。サッカーは世界共通の言語であり、アジアや南アメリカを始めとする国の、既存あるいは将来のニュージーランドの貿易相手に対する、その人気と文化的な意義は少なくない。ニュージーランドのスポーツ愛好者にとっては、これまであまり馴染みのなかったサッカーが、遂に広まり、認知される事になるかも知れない。

デイビッド・デイル(文)

原文

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